日産プリンスの名前を聞かなくなって久しいですが、記憶には留まっています。そんな日産プリンスの豆知識をご紹介します。
日産自動車が名車スカイライン、グロリアを持つ「プリンス自動車工業株式会社」(富士重工業等と共に分割解体された旧中島飛行機の一部冨士精密工業の後身)を事実上の吸収合併したことによって、誕生したのが日産プリンス販売店です。つまり自動車の生産部門は日産プリンスとはならず、スカイラインやグロリアを販売する直営ディーラーとして日産プリンスの名前を残したということです。元々プリンス工業はスポーツカー系の車種が多く、若者からの支持が高かったのですが、トヨタに次ぐ日本代2位のシェアを占めていた日産自動車も、バブル崩壊後に財務が悪化し、紆余曲折を経てルノーの傘下に収まったのはご存知の通りです。そしてCEOに就任したカルロス・ゴーンが手がけたのが、利益の見込めない車種などを切り捨てるというリバイバルプランでした。その結果セドリック(現在商業者向け販売)やグロリア、ローレルおよびサニー、またスカイラインといった日産を代表する車種の名(歴史)を捨てたのです。日産プリンスの名を留めていたグロリアやスカイラインの車名が消えたことによりプリンスの存在も霧消してしまいました。
日産自動車の中で輝かしい歴史として今も語り継がれているのは、日産プリンスロイヤルでしょう。戦前より皇室の使用される自動車は、ダイムラーやロールス・ロイス、メルセデス・ベンツなどの外国車を採用していました。しかし戦後の復興を驚くほどの速さで成し遂げようとする日本の自動車工業界は、皇室の自動車を国産車とすることが悲願となっていました。それは政府でも同様の考え持っており、1960年代に入り、宮内庁は自動車工業会へ国産リムジンの開発を諮問したのですが、当時の皇太子(今上天皇)がプリンス自動車のスカイラインやグロリアを愛用していたことで、宮内庁と車両納入で密接な関係にあったプリンス自動車が、1965年より開発を担当することとなったのです。しかし完成時は日産自動車に吸収合併された後であったために、車名は「日産・プリンスロイヤル」となったのですが、ここに日本の自動車工業界、ひいては日本人の悲願が実現したのです。
1999年3月にルノーの傘下に入った日産自動車は、カルロス・ゴーンがCEOに就任し、同年4月からリバイバルプランを発表するなど、急ピッチで会社の建て直しを図りにかかりました。その流れで神奈川県の座間工場が廃止され、それまで設計に携わっていた日産のエリートが工場の清掃をする姿などが写真週刊誌に報じられたのは記憶に新しいところです。そんな状況下、日産プリンス店を始めとする日産系販売チャンネルの整理が進められ、旧・日産・サニー店であるサティオ店、日産・チェリー店と系列を統合し日産・レッドステージとなっていますが、会社名は基本的に「日産プリンス○○販売」のままになっています。さらに2年ほど前には、日産・ブルーステージを含め、すべての日産系ディーラーで日産車全車種を取り扱うことになり、今も各地で日産系ディーラー同士の合併が進んでいるのです。合併時に日産プリンス店が存続会社となることも少なくないため、日産プリンス店を名乗りながらブルーステージやレッド&ブルーステージとなっている店舗もあるようです。